デジタル・ネイティブの育ち方を取材した『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』や日本初の民間小児ホスピス「TSURUMIこどもホスピス」を取材した『こどもホスピスの奇跡』で話題を呼んだノンフィクション作家の著者が子どものQOL向上で特筆すべき活動をしている施設への取材を通して、医療や福祉の在り方を問います(次回更新で過去の連載記事は読めなくなります)。
1977年生まれ。アジアの障害のある物乞いを扱ったノンフィクション『物乞う仏陀』でデビュー。その後、国内外の貧困、病気、犯罪など多様なテーマで作品を多数発表。難病の子供のQOLをテーマにした『こどもホスピスの奇跡』で新潮ドキュメント賞を受賞。現代の若者の生きづらさを言葉から見つめた『ルポ 誰が国語力を殺すのか』、特別養子縁組制度を作った菊田昇医師の評伝小説『赤ちゃんをわが子として育てる方を望む』など。
子どもの頃、あなたにとって「学校」とはどのような場所だっただろうか。
おそらく今の子どもたちに学校へ行きたいかと尋ねれば、「行かなくていいなら行きたくない」という答えが返ってくることが多いのではないだろうか。かくいう私も同じだった。大人から、学校へ行け、勉強をしろ、と言われるたびに、「めんどくさい」「なんで行くのか意味わかんない」「勉強して何の役に立つんだよ」と愚痴っていた。
私はそれなりに学校生活を謳歌していたタイプの人間だった。友達とも仲良くやっていたし、いくつかの授業や部活は大好きだった。ただ、授業やテストで横一列に並ばされて管理されることに、漠とした抵抗感があり、そのような不満を口にしていたのだ。
このことは、昔の子どもも、今の子どもも共通する認識ではないだろうか。今の斜に構えた子どもの言葉で表せば、学校は〝だりい〟空間なのである。
この認識が変わったのは、十数年前にある病院の中に設置されている院内学級を初めて見学で訪れた時のことだった。
ここに来る前、私は院内学級という空間に、病気の子どもたちが義務教育の名のもとに勉強を強要されているイメージを持っていた。たしかに教室にいたのは点滴をつけたり、抗がん剤治療で髪を失ったりしている小学生たちだったが、予想と違ったのは、みんなが心から楽しそうに笑みをこぼしながら問題を解いたり、歓声を上げながら実験をしたりしていたことだった。授業が終わっても病室にもどろうとせず、先生といつまでも話し込んでいる子の姿もあった。
見学が終わった後、私の中にはどうしてあの子たちはあんなに楽しく勉強をしていたのだろうかという疑問が残った。だが、病院見学の一環だったため詳しい話を聞く機会はなく、それに対する答えは得られないままだった。
それから歳月が流れ、2016年に私は大阪のTSURUMIこどもホスピスの取材で、院内学級の教員として有名な副島賢和先生に会う機会を得た。私はかつて訪れた院内学級を思い出し、その時の疑問を投げかけてみた。すると、副島先生は次のように話した。
「私は院内学級を子どもたちが生きるエネルギーを溜めるための場所だと思っているんです」
どういうことなのだろう。副島先生は次のようにつづけた。
「病院に何ヵ月も何年も入院していると、子どもは自分の成長を感じることができないのです。社会から隔絶された病室の白い壁に囲まれて、チューブをつけられて身動きさえできずにいると、自分が将来のある子どもであることを忘れてしまう。
そんな子にとって、院内学級で何かを学ぶ行為というのは、自分の成長を感じられる方法の一つなんです。九九の三の段を覚えて、次に四の段を覚える。社会の教科書を読んで歴史の流れを一つずつ覚えていく。そうすることで、彼らは自分が日々成長している子どもであり、未来があるのだということを感じるようになる。
院内学級で勉強をしていると、子どもたちの目が輝き出すのがわかります。病室にいた時はどんよりと曇った瞳をしても、問題を一つ解けるようになるたびに、一つ新たな知識を得るたびに、どんどん生気が宿ってキラキラとしていく。そういう意味で、私は院内学級を生きるエネルギーを溜めるための場所だと思っているんです」
脳裏をよぎったのは、小学校時代にインフルエンザになり数日にわたって学校を休んだ記憶だ。
幸運なことに、私は生まれつきの健康体で、風邪などで学校を休んだことすらほとんどなかった。だが、小学校高学年の時にインフルエンザにかかって1週間ほど学校へ行けなくなったことがあった。
この時、家の静まり返った部屋で一人ベッドに横になっていると、学校で同級生たちがにぎやかにすごしている光景が思い浮び、自分だけが一人取り残されたような激しい孤独感に襲われた。友達みんなが学校で机に向かい、休み時間に走り回り、おしゃべりをしながら給食を食べているのに、自分だけそれができないことが寂しくてたまらなかったのだ。
状況は違えど、きっと病院に入院している子どもたちも似たような気持ちをずっと抱えているのだろう。そんな彼らがみんなと同じように学校へ行きたい、勉強をしたい、先生とおしゃべりをしたいと切望するのは当たり前のことだ。
院内学級はその願いをかなえてくれる空間なのだ。教室へ足を運び、新たなことを学べば、自分の成長を実感することができるし、自分の未来について思いを馳せることができるようになる。
副島先生が語る「生きるエネルギーを溜めるための場所」というのは、そういうことなのだろう。このように思い至って初めて、私は病院の中に教室がある意義を知ったのである。
今回の対談企画で、私が改めて副島先生の話を聞きたいと思ったのは、あの気づきを深く掘り下げたかったためだ。副島先生がいうエネルギーとは何か、エネルギーは子どもに何をもたらすのかということを教えてもらいたかった。
対談の場として私が赴いたのは、東京都品川区の旗の台駅からすぐのところにある昭和大学病院だ。ここには「さいかち学級」という同病院に入院する子ども向け教室がある。院内に品川区立清水台小学校病弱・虚弱特別支援学級が設置されているのだ。副島先生は大学で教鞭を取る傍ら、ここのアドバイザーを務めている。
さいかち学級は、一般的な学校の教室とは少し趣きが異なる。部屋の中心には大木の模型が立っており、机はみんなが向き合って学べるように円形になっている。棚には本、漫画、遊具などが並べられ、子どもたちが作った工作や絵がたくさん飾られている。
そんな教室で、約10年ぶりに私は副島先生と向き合った。
石井 お久しぶりです。初めて副島先生にお会いした後、色々な病院の院内学級を取材してきました。あの直後に行ったのは、大阪市立総合医療センターの院内学級でしょうか。あそこは小児病棟の同じ階に院内学級の教室があります。小児がん拠点病院なので、長期入院している子どもたちもとても多い。
朝の9時過ぎが登校時間で、時間になると、病室にいた子どもたちがバッグを車いすにかけたり、松葉杖をついたり、点滴スタンドを引いたりしながら、教室へぞろぞろと向かっていく。すると、廊下ですれ違う看護師さんたちが次々と声をかけるんです。
「行ってらっしゃい!」
「今日も楽しんでね!」
「何をしたか、後で聞かせてね!」
子どもたちは厳しい治療の後遺症でやせ細ったり、顔がむくんだりしているのに、みんな笑顔で「行ってきますー!」と言って、病室から数十メートル先の教室へ足を運ぶ。
院内学級をのぞいてみると、子どもたちは一様に明るい表情で勉強をしているんです。ある中学生の女の子に話を聞いたら、こんなふうに言っていました。
「病気になった時は進学のことはもちろん、将来のことすら考えられなかったけど、ここで勉強していたら、どこの高校なら行けるのか、将来何を目指すのかといったことをすごくリアルに考えられるようになった。病院には闘病しながらも高校へ進学した先輩もいて、その人たちと話をしていると、(病気の後遺症である)障害があっても、こんなこともできるんだって知ることができて嬉しくなる」
それを聞いた時、副島先生がおっしゃっていた「エネルギーを溜める場所」の意味が実感できたような気がしました。
副島 院内学級で学ぶのは、必ずしも主要科目だけじゃありません。たとえば、図画工作や家庭科といった教科もありますし、お楽しみ会、ハロウィンパーティー、豆まきといったイベントもあります。
教室の中をご覧いただくと、子どもたちが作ったたくさんの作品が飾られているのがわかると思います。絵に、粘土に、和紙で作ったお面……。一般的な学校では授業で子どもたちが当たり前のように日々作っているものですが、病気の子どもたちにはそれができません。さいかち学級に来て初めて、同級生と同じことができるようになる。
院内学級では、病気の子だからといって特別なことをやる必要はないのです。健康であれば学校で誰もがすごしている〝日常〟をここで体験することが、彼らにとってエネルギーを溜めることになるのです。
石井 あるお医者さんが、子どもは病気になって入院をした瞬間に子どもではなく「患者」にさせられるんだと話していました。院内学級とは、もう一度子どもたちを子どもにさせるということなのかもしれませんね。
話を進めていく前に、副島先生の経歴を少し確認させてください。もともと副島先生は大学卒業後に一般的な公立小学校の教員をされていました。ところが、29歳の時に肺の病気になって入院をしたことによって、同じ病院で治療をする難病の子どもたちの存在を間近で知る。中には回復の見込みがない子もいて、看護師さんから「あの子は一生病院から出られないかもしれない」と教えられた。副島先生はそれを聞いて次のように思った。
「病院の外へ出られないかもしれないけど、この病院の中であの子が幸せになる方法があるのではないか」
世の中には病院の外が幸せで、病院の内側が不幸という固定観念みたいなものがありますが、副島先生は病院から出られないのなら病院の中で幸せを手に入れることはできないのかと考えた。
そこで病院を退院した後、副島先生は教員の派遣研修制度を使って大学院へ通って心理学を学んだところ、ある衝撃的なデータに出会った。不登校だった2万人の子どもを調査したところ、そのうちの13・4%の子の不登校のきっかけが病気だった。つまり、病気になったがゆえに、長らく学校に通えなくなる子が多数存在していたのです。
教員としてこうした子どもたちを何とかしなければならない。副島先生はそう考え、院内学級への異動願いを出します。そして数年後に念願が叶って、さいかち学級に赴任し、現在は昭和大学病院で准教授として教鞭を取りながら様々な院内学級にかかわっていらっしゃる。
これがざっとした経歴だと思いますが、副島先生は院内学級で教えるようになった当初から、子どもたちのエネルギーの問題について考えていたのでしょうか。
副島 正直に言えば、最初は何もわからないまま院内学級で働きはじめました。ただ、教室で大勢の子どもたちと向き合っている中で、子どもたちが一般的な学校の子と比べて〝受け身〟であることに気がついたんです。
たとえば、こちらが「今日は何をしたい?」と聞いても「何でもいい」と答えるし、「好きなことはある?」と聞いても「わからない」と答える。大人に決めてもらったことに従うという姿勢だったのです。
教員人生を振り返った時、子どもは主体的に「これをしたい!」「あれが好き!」と主張して、自分を出すのが当たり前だと思っていました。でも、病院にいる子どもたちはそうではなく、あらゆることにおいて受け身に回っていたのです。
当初はどうしてそうなるのかわかりませんでしたが、だんだんと原因が明らかになりました。病院に患者として入院するというのは、受け身でいることを求められることなのです。
病院のベッドにいれば、お医者さんや看護師さんがやってきて「今から検査をしましょう」「明日からはこの治療をしよう」と言われます。子どもは一々それに反抗することはできず、自分の思いを飲み込んでそれらを受け入れなければなりません。健康を取り戻すためには仕方のないことなのですが、それが病院で治療を受ける子どもたちを待ち受けている現実なのです。
入院生活が長引けば長引くほどこうしたことがつづくので、子どもたちは主体的に何かを感じたり、考えたりすることが減っていっていきます。治療に関する大人の指示は、注射、手術、抗がん剤など苦痛を伴うことばかりなので、受動的な思考回路になっていなければ受け入れられないといったこともあるでしょう。細かなことを聞いてもつらいだけだし、抗っても結局はやらざるをえないのですから。そうこうしているうちに、子たちから自我が消えて受け身になっていってしまうのです。入院中の子どもたちにとっての第一優先は治療です。1日も早く治すために、痛いことも辛いことも淋しいことも我慢します。ただ、それでは治療のエネルギーさえなくなってしまうと思いました。
石井 僕自身もそういう子たちを見てきました。ある小学生は小児がんの過酷な治療に疲れ果てて「学校に復帰することは考えないようにしている」「将来のことなんて考えられない」とうつろな目をして言っていました。隣にいたお母さんは「この子は治療をはじめてから好きな食べ物すらなくなってしまったんです」と嘆いていらっしゃった。この子は治療をはじめて1年ちょっとでしたが、物心ついたころからずっと治療をしている子などは余計にそうかもしれませんね。治療の中で自分自身がすり減ってしまった結果としての受け身と感じました。
副島 そう、私が〝エネルギー〟と呼んでいるのは、子どもが子どもとして未来に向かって進んでいく力のことです。入院生活の中でそれがすり減ると受け身になってしまう。
私がエネルギーという言葉を使うようになったのは、心理学者の河合隼雄さんの著作の中に「心的エネルギー」という用語を見つけたためでした。その本で河合さんは、人間には体力としてのエネルギーだけでなく、心にもエネルギーがあるとおっしゃっていた。私はそれを読んで、院内学級で出会っている子どもたちが失っているのは、まさにこの心のエネルギーだと気がついたのです。
石井子どもたちが心のエネルギーを奪われる要因としては、入院中に受ける治療以外に別の要因はあるのでしょうか。
副島 いろんなことが要因になりえますが、主なものの一つとして挙げられるのが、〝人生のモデル〟の欠如ではないでしょうか。
健康な子であれば、自分が生きていく未来にいろんなモデルがあります。大学を卒業して公務員になるとか、甲子園に出てプロ野球選手になるとか、大学時代に起業して経営者になるなど複数のモデルが存在する。
しかし、病気の子どもには、そうしたモデルがほとんどないんです。入退院をくり返して小学校もほとんど行けなかった子にどんな将来があるのか、ずっと後遺症と闘わなければならない子がどうやって社会で活躍するのか、そもそも常に再発の恐れがある自分が社会に出ることなどできるのか……。それを示してくれる大人がどれだけいるでしょう。
世の中にあふれているモデルは、健常者のためのモデルばかりなんです。病気の子のそれはほとんどない。だから、若い頃にずっと闘病をしていた子って、何になりたいと尋ねると、「わからない」と答えるか、「医療関係者」って答えるかのどちらかであることがほとんどです。モデルがないので思いつかないか、目の前のお医者さんや看護師さんをモデルにするしかないんです。
こういう環境が、子どもたちの生きるエネルギーを奪っているのは容易に想像できることです。将来こうなりたいから、今これをがんばろうという気持ちを抱けなければ、なかなか主体的に物事を考えたり、行動したりすることはできません。
石井 病院の医師や看護師など医療者にとって、子どもが受け身であることは、ある意味において都合のいいことでもあります。子どもが受け身でなければ、医療者は自分たちが必要だと考える治療を提供することができない。ひいては子どもの命にかかわることになります。
ただし、子どもたちのQOLを考えた時、彼らが治療によって失った心のエネルギーをどこかで補充する必要がある。副島先生は、院内学級はそれをするための〝エネジー・ステーション〟だと位置づけていますが、具体的に何をすることによってそれを実現されているのでしょうか。
副島 私たちはまず入院中の彼らに教室に来てもらえるよう働きかけるところからはじめなければなりません。そのため、私は時間を見つけては病棟を回って子どもたちと頻繁に接することにしています。
そんな時に役立つのが(道化師が使う)赤鼻です。これを鼻につけて歩いていれば、子どもたちは私に親近感を抱いてくれる。中には自ら声をかけてきて、「今日ご飯全部食べられたんだよ」とか「昨日はお父さんが来てくれたんだよ」と教えてくれる子もいます。そこから徐々に距離が縮んで信頼関係ができ上っていくのです。もちろん、嫌がる子もいます。プラスでもマイナスでも心が動いてくれればいいのです。そこに関わる扉があります。
病棟を回る中で看護師さんから、子どもたちの体調や治療のスケジュールを聞くこともあります。そうすればこの子は教室に誘っても平気だろうなとか、この子にはこういう言葉がけをしようということがわかる。細かなことですが、そうしたことのつみ重ねが、子どもたちを院内学級に引き寄せることになるのです。
また、教室は教室で、子どもたちの好奇心を刺激するものでなければなりません。さいかち学級を見回していただけるとわかると思いますが、テキストや本なども一通りそろっていますが、それ以外にもアイロンビーズやカードゲームやボードゲーム、それに工作などアナログのものがあふれていますよね。勉強の合間にやるものですが、こうしたものを揃えておくことも大切なのです。
ゲームを置くなら任天堂スイッチなどのような最新のゲーム機のようなものの方が、子どもは喜ぶんじゃないかと思われるかもしれませんが、彼らは病室のベッドで一日に何時間もそれをしていますので、教室にあったとしても特に心を揺さぶられません。それに彼らはゲームが好きで好きで仕方がないからやっているのではなく、つらい入院生活の現実から目をそらすために、自分の意識を無理やりゲームに向けているという面もあるのです。
さいかち学級にアナログのおもちゃを置いているのは、他の子や教員などみんなでやって楽しめるからです。それは病室のベッドでゲーム機と向き合っている時に得られるのとはまったく違う喜びであり、それによって心が満たされると、またさいかち学級に行きたい、またこのメンバーで集まりたいと思うようになる。そうなったら、ここで彼らは次々と主体的にものを考え、たくさんのことに取り組むようになるのです。
石井 教室には、子どもたちの作った工作や絵などがたくさん飾られていて、名前もちゃんと書かれていますね。彼らが心から楽しんでやっているのが感じられます。こういうふうに、教室の中に自分の作品が増えていくと自信になるでしょうね。
そういえば、副島先生はご著書の中で「基本的自尊感情」という言葉を紹介されていました。これは健康教育学を専門にする近藤卓さんが著書で紹介されている概念で、他人と共に行う共有体験から得られる自尊感情とされています。
友達と広場で無我夢中に遊ぶ、クラスメイトと一生懸命に演劇をする、部活の仲間と勝利を目指してスポーツをする。このように他者と一つのことを共有する中で、人は「自分は生きていていいんだ」「他人から受け入れられているんだ」「ここに自分の居場所があるんだ」という生きることに対する全面的な自尊感情を得られることができるといいます。
さいかち学級で他の子たちと一緒にアナログの遊びをして楽しんだり、工作をしたりする行為というのは、この基本的自尊心を膨らませる行為なのかもしれません。こうしたことをくり返していく中で、だんだんと生きることに対する自尊感情を獲得できるようになる。
一方で、さいかち学級では、いわゆるテキストを用いた勉強も行います。国語、英語、社会といった通常の教科ですね。こういう教科の中で、副島先生はどのように子どもたちのエネルギーを膨らませていくのでしょうか。
副島 前提として病気の子どもたちは、普通の子と同じように教員と一緒に勉強をするというだけでも自分の成長を感じられます。病室にいても、子どもたちは自分がみんなから取り残されているという不安を常に抱いていますし、自分の成長が止まっているような感覚を持っています。だから、教科書を開いて、学校に通っている同級生と同じように、漢字を覚えたり、公式を覚えたりするだけで、自分自身が日ごとに成長している未来ある子どもなのだということを思い出すことができる。
とはいえ、教員の側はただ勉強を教えて学力向上を目指すのではなく、細かなところで心のエネルギーをつけさせる工夫をする必要があります。たとえば小学6年生の国語の教科書に谷川俊太郎さんの「生きる」という詩が掲載されています。そこに次のような一文があります。
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
健康な子であれば、これを読んだところで「生きていれば泣いたり笑ったりするのは当たり前だろ」という感想を持つかもしれません。しかし、病気の子は違います。彼らは受け身になっているあまり、感情を表に出す行為を避ける傾向にあります。それをすれば医者や親に迷惑をかけると思って感情を殺しているのです。
私たち教員はそうしたことを踏まえ、授業中にこの詩を通して、泣くこと、笑うこと、怒ること、自由であることは、君が生きていることの証なんだから、大いに表に出していいんだよ、と伝えます。健康な子であれば意味がわからないかもしれませんが、病気の子なら、感情を出していいんだ、それが生きるということなんだ、という気づきになる。そしてそれが子どもとしての自分を取り戻す自信になるのです。
石井 以前、小学校低学年の女の子の取材をしたことがあります。その子は、どれだけ痛かったり、苦しかったりする治療を受けても一切泣き言を口にしなかったそうです。たとえば母親が手術を受けた娘に「大丈夫だった?」と尋ねると、「ママを心配させちゃってごめんね」と答えるような子だった。ある日、お母さんが、痛かったら泣いてもいいんだよ、と言ったら、彼女はこう答えたそうです。
「私が泣いてみんなを困らせるのが怖い」
お母さんはそれを聞いて、治療は娘から泣くという行為さえも奪ってしまったのかと愕然としたと話していました。
副島先生の国語の授業のエピソードは、まさにこのような子どもに感情を蘇らせる取り組みのように感じます。他に算数などの教科では、どのようなことに気を配りながら授業をなさるのでしょうか。
副島 算数で大切なのは、子どもがミスをした時の声掛けや対応です。病気の子どもたちって、自分はダメな人間だと思いがちなんです。病気になって親を悲しませた、たくさんのお金を使わせてしまった、きょうだいに迷惑をかけた……。中には自分のことを「不良品」と言う子までいるほどです。
このような劣等感を抱えている子たちは、勉強をすることにおいても、ちょっとした失敗をしただけで自分のことを必要以上に否定することがあります。具体的に言えば、誰もがするような計算ミスしただけなのに、「やっぱり自分はダメなんだ」と感じてしまう。
院内学級の授業では、教員が子どもたちのそうした傾向を把握して、失敗を失敗だと思わせない声掛けをする必要があります。間違いをした子どもに「そうしたミスは誰もが必ずすることであって、それは失敗ではなく成長への一歩なんだよ」と教えなければなりません。ミスをしたことによって課題が見つかったわけで、それをクリアすれば新しいステージに進むことができるのだと示してあげる。そんなあなたもダメじゃないと伝える。
もちろん正解した時にちゃんと褒めることも重要です。勉強において正解の一つひとつはすべて成功体験になります。その一つひとつのかかわりがそのまま心のエネルギーになっていくのです。
石井 院内学級というと、一般的には病気のせいで勉強が遅れている子にそれを取り戻させるようなイメージがあるかもしれません。しかし、学力を上げることより、勉強という行為を通して彼らに自信を植え付けることの方が重要なんですね。
副島 最近は一時退院させることも多くなっていますが、子どもたちが地元の学校にもどったからといって、そこで充実した時間をすごせるわけではないのです。
たとえば、学校へ行って理科の実験に参加したとしましょう。先生やクラスメイトたちは、その子が退院したばかりだと知っているのであれこれ手伝ってあげようとします。「代わりにやってあげるね」「すわって見ているだけでいいよ」と気をつかうのです。
彼らにとっては親切心からやっていることでしょう。でも、病気の子の受け取り方は違います。自分もみんなと同じようにやりたいのに、病気だということで特別視されてしまっていると感じます。すると、「ここは自分の居場所じゃないんだ」「自分はお客様扱いされているんだ」と思う。これでは心のエネルギーは溜まりません。
だから、院内学級では子どもたちが自分でできることはすべてやらせるようにしています。彼らが「自分もみんなと同じようにできた」と感じ、「次のことをやってみよう」と思わせることが大切なのです。そういう体験を重ねることで、新しいことに興味を持ち、自ら動くようになっていくのです。
石井 院内学級は子どもたちにとっての「当たり前」を実現する場所と言えるのかもしれませんね。それが心のエネルギーの獲得に通じる。
副島 私は心のエネルギーを満たすためには、次の三つの必要なステップがあると考えています。
① 安全・安心
② 選択・挑戦
③ 希望
まず子どもたちにとって院内学級が安全・安心な場でなければなりません。子どもたちが「自分は歓迎されている」「先生は味方なんだ」と思える場所である必要がある。そのためには、教員が日頃から子どもたちの示す怒りや悲嘆といったマイナスの感情まできちんと受け止め、大切にする姿勢を示すことが大切になってきます。子どもの感情を共有するということです。
たとえば、子どもが誰かと衝突して、「あいつを殴りたい」と言ったとしましょう。これは受け入れられることではありませんよね。でも、その子がこういう感情を抱いたことは事実なので、ひとまずそれを受け止めるんです。「わかるよ。それくらい嫌だったんだよね」と言ってあげる。許容はしませんが、受容はする。
教員が意見を言うのは、このように受け止めた後です。一旦気持ちを受け止めてから、「でも殴るのは正しい選択じゃないよね」と正しい意見を伝える。いきなり教員に意見を言われれば、子どもは「先生はわかってくれていない」と感じますが、一度受け入れてもらった上でそう諭されれば、「先生は自分の感情を大切にしてくれている」と捉えます。それがさいかち学級への安心感につながっていくのです。
教室にこの安心感があるのとないのとではまったく違います。それがあれば、子どもたちはここで新しいことに選択・挑戦しようとするし、自分の未来に希望を抱くようになる。それがエネルギーを満たすということなのです。
石井副島先生は子どもたちと接していて、どういう時に心のエネルギーが満たされたと感じますか。
副島 さいかち学級での授業が終わり、子どもたちが「あー、今日は楽しかった」「また明日ね!」と笑顔で病室へ帰っていくのを見る時ですね。今日の授業が、子どもたちの回復する力や成長する力につながったんだと思ってホッとします。
石井 「あー、今日は楽しかった」「また明日ね!」。どこにでもありそうですが、改めて聞くと、とてもいい言葉なんですね。
石井 難病の子どもたちと向き合う時に、必ず避けて通れないものとしてあるのが「死」です。院内学級がいくら子どもたちに心のエネルギーをつけても、身体が病魔に打ち勝つことができないケースも少なからずあります。自然の摂理であるがゆえに、現代の医学の力をもってしてもどうにもならない。
院内学級で教員をするということは、子どもたちの死と向き合うということでもあります。心のエネルギーを与えつつ、それだけでは解決できない現実とも対峙しなければなりません。
以前お会いした時、副島先生はそこも含めて教室で子どもたちと接しているとお話ししていました。今、机をはさんでいる目の前の子が、もしかしたら明日には死んでしまうかもしれない、ということを念頭に授業をしなければならない現実もあるのだ、と。
副島 その通りです。
石井 あの時のお話の中ですごく印象に残ったのが、副島先生が子どもたちが授業の中で向き合うノートやテスト、それに工作品まですべて〝その子が生きていた証〟になる可能性があると意識しているということでした。
仮にある日突然子どもが亡くなってしまったら、前日に書いたテスト用紙の余白の落書きや作文が、家族にとっては最後の思い出の品になるわけです。このように考えると、そうした品を単なる落書きや、課題の一つと見なして粗末に扱うわけにはいきません。テスト用紙の余白の落書きをどのように保管しておくのか、作文の課題で何を書かかせるのかといったことまで気を配っていかなければならない。
たしか先生から聞いたのは、授業中に子どもたちが歌をうたった時に、それをきちんと録音しているということでした。難病の子は、いつ声が出なくなるかわからない。もしかしたら授業で歌ったのが最後になるかもしれない。だから、それを録音して、何気なく親御さんにお渡しているんです、とおっしゃっていました。
副島 それは今でもやっています。もちろん、最初から遺品として考えて、保護者に渡しているわけではありません。院内学級ではこんなふうにがんばっていますよと伝えるためや、入院生活の記念にしてほしいという思いでしていることです。
ただ、いつ何時容態が急変するのかわからないのが難病です。だから、作文を書かせるにしても、家族の思い出など周りの人たちの記念になるテーマを出したり、工作をするにしても、なるべく長く保存できそうなものにしたりします。そしてそれをちゃんと保護者に届くようにしておきます。
病気の子って、健康な子に比べると、家族で旅行に行くとか、運動会や学芸会に参加するといった体験の数がどうしても少ないのです。だから、家族がその子の思い出になる品をあまり持っていない。ずっと病院にいるわけですから仕方のないことなんです。
そうしたことを踏まえて、私は院内学級で作ったものはすべて、本人にとっても家族にとっても大切な思い出になると信じています。仮にその子が亡くなっても、それらが保護者の手元にあれば、その子が生きた貴重な証になる。それが後になって悲しみに暮れる保護者を慰めることもあるでしょう。
子どもたちの命と向き合っている以上、そういうことに配慮するのも教員の役割の一つだと思っています。
石井 難病で子どもを亡くしたご遺族と話をしていると、遺品がどれだけ大切なものか痛感します。
数年前、生まれてすぐに難病が見つかり、2年ほど闘病した後に、わが子を失ったご両親に会ったことがありました。その子は生まれてから亡くなるまで、ほぼずっと病院ですごしたそうです。そのため、一般的に遺品とされるものがほとんどなく、病院を去る時に必死になって夫婦で持ち帰れるものを探さなければならなかった。使用していた病院のパルスオキシメーターをもらえないかと看護師に相談したほどだったそうです。
そのお母さんが次のように言っていました。
「遺品がほとんどないことを知って、私はどれだけあの子にかわいそうなことをしたんだろうって思いました。結局、つらい治療をさせるためだけにあの子を産んでしまった。悔やんでも悔やみきれません」
ご遺族にとって遺品がどれだけ大きなものかを感じた出来事でした。こうした現実があることを考えれば、院内学級で作ったものがすべて家族にとって大切なものになるという意見はその通りなのでしょう。
もう一つ、副島先生は、子どもに会うということも大切にしていますね。子どもはいつ何時どうなるかわからない。だから、会える日に会わなければならない、と。
副島 これはエビデンスがあるわけではなく、あくまで私の印象ですが、難病そのものが直接の要因で亡くなることって想像以上に少ないんです。たとえば、その子ががんだとして、がんそのもので亡くなるのではなく、抗がん剤のせいで免疫力が弱っているところに何かしらのウイルスに感染して亡くなるといったようなことです。そういう意味で言えば、このがんだとこれくらいの余命があると言われても、ある日別のことが原因で命を落としてしまうことがあるんです。
私自身、「また次の機会でいいや」と思って会うのを先延ばしにしたことで、二度とその子と会えなくなったという経験があります。悔やんでも悔やみきれませんでした。だからこそ、私はその日できることをその日のうちに一生懸命にやるということを意識しています。勤務時間外だからとか、明日も会えるだろうからということで先延ばしすることはしないようにしている。それでダメだったら、もう永遠にダメになってしまうわけですから。
石井 もし受け持ちの子どもに残された時間が長くないとわかったとします。副島先生は、そういう子にどんな授業をするのでしょう。
副島 次の三つですね
① ありえないくらい楽しいことを用意する。
② 日常を最後の日まで淡々とやりつづける。
③ その子のことを記憶する。
その子の年齢や体調やタイミングによって違います。イベントも大切ですが、学びは日常です。だから、イベントよりもその子にとっての日常を最後まで続けることを重視しています。病気がどれだけ重くなっても、子どもは亡くなるその瞬間まで成長するものなんです。だからこそ、日常を継続することによって、その子の成長を促してあげなければなりません。
石井 難病で幼い子を失ったご両親がこう言っていました。亡くなる直前に家族旅行へ行ったら、急にこれまで気に入っていたのとは違うキャラクターのぬいぐるみをほしがった。それを見て、この子は今でも成長しているのだと思って涙が止まらなかった。まさにそういうことですね。
副島 はい。③のその子のことを記憶しておくということも大切です。その子のためということもありますが、ご両親に与える影響が大きいと思います。長く闘病をしていた子は、病院の外にあまり友達がいないことがあります。その子をよく知る保護者も少ない。そうなると、病院で家族や医療者以外でもっとも長くその子とすごしたのが院内学級の教員ということもあるのです。
親御さんにしてみれば、そうした教員は亡くなったわが子を知る数少ない大人です。子どものことを語りたくなった時、ふと院内学級にやってきて、私たちと思い出を分かち合えば、心が少しだけでも軽くなるかもしれません。教員は子どもだけでなく、保護者とも長くかかわっていく必要があると考えています。
石井 とはいえ、院内学級も通常の学校とルールは同じですよね。教員が子どもや家族と個人的に連絡先を交換してプライベートで会うのは禁じられているのではないでしょうか。
副島 ルールはあるにはありますが、私としてはそこまで厳格に守らなければならないものと受け取ってはいません。自分から連絡を取るかどうかはともかく、私は保護者から望まれれば名刺を差し出しますし、連絡が来て亡くなった子どもについて話をしたいと言われれば可能な限り応じます。それが家族を支えることになるし、自分の役割だと思っています。
石井保護者にしてみれば、実際に連絡を取るかは別にしても、そのような覚悟を持っている先生が院内学級にいると思えるだけでも大きなことだと思います。
副島 長らく院内学級とかかわってきて感じることがあるんです。最近、子どもファーストという言葉をよく耳にしますが、本当にそうなのだろうかということです。特に難病の子を見ていると疑問を抱かずにはいられないんです。
近年は入院期間を短くする傾向にあり、難病の子どもたちの中でも入院しているのは2割に過ぎません。残りは自宅から病院に通って治療を受けている。つまり、地元の学校に通っているはずなのです。
しかし、大学の一般的な教職のカリキュラムには、難病の子を理解したり、指導したりするものがありません。特別支援学校の教諭免許を取る人はやりますが、一般の学校の方ではやらないのです。そうなると大半の先生は、病気の子の置かれている状況をわかっていないのです。
石井 先ほどの理科の実験の話じゃありませんが、先生が病気の子の扱い方を知らないがゆえに生じるすれ違いもしばしば指摘されていますよね。よく言われるのが、先生が病気の子に対する「体調が良くなったら学校に来いよ。みんな待っているからな」という声掛けです。先生からすれば善意で言っているのでしょうが、病気の子からすれば「体調が良くならなければ学校に来るな」と聞こえてしまう。それが両者の間の深い溝になるということです。
副島 私は今の日本は〝中空構造〟になっていると思うんです。国は「子ども真ん中社会を作ろう!」と言っていますが、周りにいる大人が子どものためと思いつつ、その子の置かれている状況をきちんと把握しないまま、「体調が良くなったら来なよ」と言ったり、「元気になったら遊ぼうね」と言ったり、「オンライン授業の方が楽だよね」と言ったりすることで、結果として真ん中にいる子どものためになっていない。その子はもう真ん中にはいない。蚊帳の外に置かれているんです。悪気はないんだけど、周りの人たちが病気の子どもに忖度するうちに、その人たちが主体になってしまっているのです。
石井 そうですね。先生が「君の机は教室にあるよ」と言えばいいのに、忖度して「オンラインでも授業を受けられるよ」「院内学級の先生の方が理解があるよ」と言えば、その子を突き放すことになってしまう。
副島 先生がかけるべき言葉は、「君もクラスの一員だよ」「みんなが帰りを待っているよ」ですよね。そうすれば、子どもは学校にもどろうとするし、学校に安心感を抱くことができる。
人が病気の子どもにそういう接し方ができるようになるには、「病気の子の立場になって物事を考える力を持つ」「その子にどう向き合えばいいのかを想像する力を持つ」「その子の感情を大切にする力を持つ」という三つの力を身につけることが欠かせません。
よく講演や研修に呼ばれて、先生方に向かって話をする時にこう言うんです。
「『病気の子ががんばっているんだから、君たちもがんばれ』という言い方をする人がいます。でも、病気の子からすれば病気だからがんばらなければならないと受け取るかもしれないし、健康な子からすれば自分はがんばっていないと言われたと受け取るかもしれない。そうじゃなくて、まずは目の前にいる子みんなががんばっていることを認めるところからはじめなければならないんですよ」
目の前にいる子の立場になって、その子の感情を大切にするところからしか何もはじまらないと思うのです。それができてようやく難病の子の気持ちになることができるのではないでしょうか。
石井 副島先生は、ずっと院内学級が子どものエネジー・ステーションになるよう取り組んできました。しかし、本当は院内学級だけでなく、子どもを取り巻く環境全体がそうなっていかなければならないのでしょうね。
副島 そう思います。子どもの入院期間はこれからもどんどん短くなっていくでしょうし、コロナ禍によって院内学級を一度に使用できる人数も制限されるようになりました。核家族化による孤立もさらに進んでいくかもしれません。そういう時代だからこそ、社会全体が子どものエネジー・ステーションになるにはどうすればいいのかという思考が不可欠なのだと思います。